mimi,jean,petite capi et mon chapeau*パリの日々 2000年からのFrance生活&帽子製作日記。http://www.mimi-miyuki.webs.com/

Un Hommage


Le 7 Janvier 2015

La liberté d'expression n'exclut pas celle de vivre.
Un Hommage
...Pour leur courage. Pour ce qu'ils étaient...Nous sommes Charlie.

7年以上勤めていた仕事場のすぐ近所で起きた悲しい出来事。
...彼らの勇気に敬意を表して。
そして、フランス人の強い連帯感はいつもながら素晴らしい。

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昨日は、FBが「Je suis Charlie」という黒い背景の白地で埋まった。我も我もという感じで。そして、だんだんエスカレートする投稿やメディア。「Je suis Charlie」から始まり、イスラムなんちゃら...まるでそれらが表現のテロリズムのように変わってきている気もします。

フランス人の間では、表現の自由の略奪などという言葉が飛び交っていますが、背景をよく考えると、少し、ん?!と思うようなこともあった。イスラム側から見ると、やはり自分の信じる宗教を風刺画にされるのは屈辱であり、それがたとえ表現の自由となっていてもである。そして、フランスでは多くの人がイスラム教徒に対し、よいイメージを抱いていない。が、反対に、クリスチャンの多いこの国に、キリスト教の風刺画を掲載されたらどうだろう。イスラム教の人々同様、同じく屈辱を感じるであろう。まさに宗教の自由を略奪された気分ではないだろうか?そういう事を踏まえると、風刺画が単なるブラックユーモアで終るのであろうか?とも思う。

ある記事にこういう事が載っていました...「他人の信じるものを自分が信じないからといって風刺できる自由もふくまれている。けれどもその自由も度を越せば命を要求されかねない。そのような暴力は許されないが、ときに自由はそれほど危険な責任の牙をむき、自分の自由が他人の自由を侵していないかの分別も問う。」まさにその通りだと思う...反面、難しい問題ですよね、生きるという自由を奪われた人たちがいる限り。

Parisのテロは、もう何年も続いています。わたしも数年前に メトロの窓際に座っていた時、駅で停車した瞬間、窓越しのゴミ箱が爆発して炎をあげていました。電車のドアは閉鎖され私を含め、みんな閉じ込められ、大きな叫び声や悲鳴が聞こえていました。もし、あの時降りていたら...。今回は Charlie Hebdo を狙ったものですが、関係の無い警官も殺されています。そしてこの通りはわたしの昔の仕事場だったすぐ側で小学校もあり、庶民的なところで最近は日本人も多く住んでいます。
日本では余り知られていないイスラム教の過激な思想に染まったイスラム過激派は、無差別に沢山の罪の無いユダヤ人や多くのフランス人を殺しています。その為、イスラム教自体が悪く見られ、関係のない人々までもが同じイスラム教というだけで差別を受けています。
宗教はよい所も沢山ありますが、反対に、戦争、テロ行為など、どれも宗教が絡んでいます。フランスでは宗教の自由は奪われませんが、一部では宗教差別はおこなわれています。しかしながら、こういう風に生きる自由を奪うテロリストがいる。
たとえ、表現の自由が度を過ぎたとしても、人の生きる権利までを奪うのは最低の行為だとわたしは思います。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

































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by mimijean | 2015-01-07 22:50 | france